カテゴリ: 鉄道廃線跡を歩く

今日は突然思い立って初詣ランで行けなかった関西鉄道大仏線廃線跡の遺構を探して走ってきました。
最近、仕事や父のことなんかがあってなかなか予定が立てられずいつも急に思い立って出かけると言うパターンです。
当然なにも用意していなかったので、朝から廃線跡を紹介する本のコピー、地図のプリントをしての出発、結局10時を過ぎてしまいました。
 
とりあえずJR天王寺駅まで走ってそこから輪行で関西本線加茂駅まで輪行です。
JRの近郊特定割引区間外なので奈良駅まで450円の料金がその3つ先の加茂駅では950円。
後で調べたところ奈良-加茂間は230円で、一旦奈良駅で改札を出て切符を買い直すほうが270円も安かったことを知りましたが後の祭りでした。
 
おまけに直通の快速に乗れなかったので奈良で後続の加茂行きに乗り換え、結局着いたのは11時半を過ぎていました。
すぐに自転車を組み立て出発です。
ここでデジカメを撮りだし写真を取ろうとしたのですがカメラが動いてくれません。
確かに昨夜電池の充電をしたはずなのにと考えてみると、電池を入れてくるのを忘れていました。
仕方なく今日の写真は携帯で撮影です。
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田舎の駅と思いきや、近代的に改築された新しいの駅舎でした。
 
今日巡る関西鉄道大仏線は通称「大仏鉄道」と言われ、今から100年ほど前(1897年)に大仏参拝の為に敷設されたものの新線の開通でわずか9年で廃線となった幻の鉄道です。
 
さすがに100年もたつと遺跡のようなもので探すのも大変ではと思われますが、遺構の近くにはこんな看板が立てられていました。
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加茂駅を出てすぐに見えるのが静態保存されているC57蒸気機関車。
その昔ここらを走っていたそうです。
この機関車と関西本線の現在線の間、柵の向こう側が大仏鉄道の路盤跡です。
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その後は次々と現れる遺構、徒歩だと結構時間がかかりそうですがその点自転車は便利です。
観音寺橋台。
手前が大仏鉄道の橋台、奥が現関西本線の現役の橋台で、どちらも同じ年代に造られたものだそうです。
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観音寺小橋台(柵の向こう側左右にある石積み)
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鹿背山橋。「鉄道廃線跡を歩くⅡ」という本の表紙になっている橋台だそうです。
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梶ヶ谷隧道。鉄道路盤の下をくぐるトンネルの遺構で今も道路として使われています。
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赤橋。なんと橋桁も石造りです。
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このあたり、上を通る鉄道路盤は現在道路として使われています。
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そしてここが上り下りとも急勾配で大佛鉄道最大の難所、黒髪山トンネル跡です
昭和39年までトンネルがそのまま道路として使われていたそうでうが、現在は道路拡張のため開削されて当時の面影は全くありません。
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この切通しを下ると大仏駅。
今は記念公園のモニュメントがあるだけです。
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廃線跡巡りはこれで終わり。
この後は奈良公園を抜けて新薬師寺近くのまんま亭で美味しいカレーをいただきます。
奈良公園から新薬師寺に向けて坂を上り(BD-1だと結構しんどいです)、住宅街の細い道を抜けてたどり着きました。さあ、美味しいチキンカレーです。
がーーーーん!!
日曜日というのに休みです。なんと今日はオーナーが関西シクロに出かけるとかで(涙)。。。
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仕方がないので今登ってきた道を下り、三条商店街の「三好野」さんで昼食をいただきました。
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時刻は2時過ぎ。
この後は近くの猿沢の池を通り、天理、桜井へと続く「本伊勢街道」を走ること。
ならまちの古い家並みの中を抜け
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丹波市場跡(昔のアーケード)
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大和神社(その名前から戦時中戦艦大和の艦内にも祀られていたそうです)
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大神神社をへて
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桜井駅に到着
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ここから輪行で帰宅しました。
 
それにしても100年以上も前に廃線になった鉄道の遺構が今もこんな形で残っているのは本当に驚きですね。
そういえば、以前橋を作る仕事をしていたころ、「おれたちは遺跡を作っているんだ」と言われたことがありましたが、まさにその言葉を思い起こさせてくれる一日でした。
 
さて次はどこの鉄道跡を巡りましょうか。
距離もさほどないですから今日のようにまたぶらりと出かけたいと思います。
 

昨日6日の日曜日、天気予報ではもう一つ天気がよくなさそう。
それでは本格的に走りに行っても雨に合うかもしれないですし、かねてから一度行ってみたいと思っていた奈良の国立博物館で行われている正倉院展に行くことにしました。
この正倉院展、昨年も出かけたのですが、入館まで待ち時間が2時間以上もあり、さすがに並んでいられなくてあきらめて帰ってきたのでした。
今年こそなんとか行こうと、平日に仕事をさぼって行くつもりをしていたのですが、最近仕事のほうが少し忙しくなってきたため、なかなかサボってと言うわけにいかなくなってしまいました。
そうこうしているうちに会期末の11日は近づいてきて今年も無理かなと思っていたところだたのです。
 
と言うことで、昨日は少しでも待ち時間を減らすため朝早くに出かけ、開館前に到着して開館を待つと言うことにしました。
 
向こうでの機動力を上げるためにBD-1をお供につけ、正倉院展見学後はお天気が良ければ天理軽便鉄道の廃線跡も探索してくることにしました。
 
イメージ 19時の開館ですので7時には出発。南海本線、JR大和路線を乗り継いで奈良駅には8時半ごろに着きました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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3条通り商店街を通って奈良公園に向かいますが、まだ人もまばらです。
興福寺でも阿修羅像などの特別拝観をしていましたがまだ人もちらほら、これは狙い通りです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 20奈良公園までやってきました。
正倉院展が行われています。
でもこの周り結構人が多かったんですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 21正倉院展はこの奈良国立博物館で行われています。
ところが、博物館の建物下にはすごい人が開館を待っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 22建物外に並んでいる人たちもこの行列。
入館券を買うところに入館まで90分と書かれています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
仕方がないのでとりあえず入館券を買って列の最後尾に並びました。
でも、進むのが案外早くて結局入管まで50分ほどでした。
どうやら開館と同時に前の方に並んでいたかなりの数の人がまず中に入ったので、その分待ち時間が減ったということなんでしょう
 
館内でも結構たくさんの人が見学されており、人と人の間から展示物を見て回るといった状況でした。
また、1200年以上も前の楽器や面、書き物等が展示されていているのですが、それらは保管されていた年数を考えると、確かに目の前にあることが奇跡に思えるのですが、実際には思っていたほど鮮やかに見えるわけでもなく、まあこんなものかって言ったところが正直な感想です。
 
見学を終えて出てくると待ち時間は120分になっていました。
もう開館前ではないですから正味の待時間なんでしょう。
 
時刻は11時前、雨は大丈夫そうです。
次は、こちらも前から行ってみたかった正倉院の正倉を見に行きます。
普段は休日に見学することができないのですが、今日は正倉院展に合わせて見学できるようです。
 
イメージ 23東大寺大仏殿の横を通って正倉院に向かいます。
 
 
 
 
可愛い住人が迎えてくれました。
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正倉院のある敷地の門前に自転車を置き歩いて中に入って行くと見えてきました。
思っていたより大きな建物です。
この建物は1200年以上前に東大寺に光明皇后が奉献された宝物や西暦950年の大仏開眼法会に用いられた仏具などを1000年以上にわたって保管し続けてきた建物なんです。
単なる倉庫と言えばそれまでですが、1000年以上も前の人がその機能を考え実現させたことを考えると、本当に驚くとともに感心するばかりです。
 
 
 
 
時刻は11時過ぎ、朝が早かったのでお腹がすいてきました。
 
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お昼は朝通った3条通りに戻り、以前にろっじさんのブログに紹介されていた「三好野」さんに入りました。
 
 
カツ丼+カレーうどんセット
ボリュームたっぷりのメニューでした。
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空の方はどうやら大丈夫そうです。
この後は予定通り近鉄天理駅まで移動し天理軽便鉄道の廃線跡を探索することにしました。
 
時間もあるのでBD-1でのんびりとJR桜井線に沿って南下していきます。
 
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近鉄天理駅に着きました。
この駅は上がJRの駅になっており、毎月26日にはこの街にある天理教本部への参拝客で大変賑わう駅なんですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天理軽便鉄道の探索はこの駅からスタートです。
 
天理軽便鉄道は大正7年に国鉄法隆寺駅から天理教の本部がある丹波市(現天理市)を短絡させる目的で軌間762mmで開業したナローゲージの鉄道で、ドイツのコッペル社製の蒸気機関車が2~3両の客車を引いて営業していた鉄道だそうです。
大正10年には大軌(現近鉄)に吸収合併され、平端~天理間が標準軌道化され現在の近鉄天理線になっています。残りの新法隆寺~平端間は狭軌のまま昭和20年ごろまで営業したものの戦争時の鉄材供出で線路がとられ終戦後の昭和27年には正式に廃線となってしまったそうです。
 
路線はこんな感じ、田舎の田畑ばかりの中を小さな車両がガタゴト走っていたのでしょう。
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天理~平端間は現在も近鉄天理線が通っておりその遺構を探ることはできません。
とりあえず出来るだけ線路に沿って平端を目指して走って行きます。
 
イメージ 8平端駅、天理~平端が標準軌道化されたのちは、軽便鉄道の終着駅になった駅です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 9平端駅からまっすぐ伸びる廃線跡の道。
写真の方向の先に平端駅があるのですが、地図で見ると近鉄天理線はこの道の延長線上に天理に向かっており、昔は一本の鉄道だったことを伺うことができます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 11反対側もまっすぐと道が伸びています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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西名阪自動車道のところから道路に平行に廃線跡が続くようです。
(実際には廃線跡を示すものは何もありませんでした)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 13少し西に進んで田圃の中に廃線跡は消えてしまいます。
本に乗っていた写真からわかった安堵駅跡と思われる空地。
ここには当時5mほどの小さなホームがあったそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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田圃のあぜ道になってしまっている路盤跡。
路盤の伸びる先に家が建っています。
長い年月の経過がそうさせたのでしょうね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここまで大した遺構はあまり見つけられなかったのですが、ここから結構はっきりしたものが残っていました。
 
イメージ 15木戸池と言う池を分断するように残る築堤。
中央部は池の水がせき止められないように切れており、そこには橋がかかっていたのでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 16近づいてみると煉瓦造りの橋台を見ることができます。
池のほとりには軽便鉄道を解説する看板が掛けられていました。
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廃線跡は富雄川を渡りJR関西本線と平行に進むように終着駅の新法隆寺駅に向かいます。
 
イメージ 18富雄川を越えると残る路盤跡には木が植えられていて果樹がなっていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 19反対側は舗装され自転車道として使われています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 24その先は舗装が途切れ林の中に。
昔は小さな列車もガタゴトとこんな木のトンネルに入っていたんでしょうかね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2550センチほどの小さな水路に煉瓦積みの橋台が残されていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 26もう少しで終着駅の新法隆寺駅です。
駅のすぐ手前の水路にも当時の橋台が残っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 27この橋を渡ると終着駅の新法隆寺駅があったJR法隆寺駅前です。
右の植え込み、芝生のあるあたりが駅のあったところだそうです。
上の写真の橋台は中央に見えるオレンジ色の建物の横にありました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 28JR法隆寺駅に到着。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さすがに廃線になってから70年もたっているとその遺構を探すのも大変なものです。
今回は木戸池以前の部分がほとんど何も残っておらず、見つけるのに同じところを何度もぐるぐる回るはめになってしまいました。
しかし木戸池築堤の路盤跡や田圃の中の自転車道になった路盤跡を眺めていると、ここを小さな機関車やガソリンカーがガタゴト走っている姿が目に浮かんできて何かとても懐かしい気分にさせてくれました。
 
久しぶりの鉄道廃線跡の探索でしたがやはり楽しいですね。
次はどこを廻ろうか本とにらめっこしています

この週末は次女の試合のお付き合い。
小学校1年から始めた水泳競技も、中学3年となって受験を迎える彼女にとってクラブから出る最後の試合です。(あと一試合中学から出る予定です)
まあ8年間、週1日の休みを除いてほとんど毎日の練習、色々な物を我慢してよく頑張ったと思います。
親である私達もサポートは大変でしたが、それなりに感動もさせてもらいましたし、楽しませてももらいました。
これからは高校受験という彼女にとって大きな仕事が控えています。
これもぜひとも頑張ってもらいたいものです。
 
ということで土曜・日曜の二日間、試合の行われた大阪プールに行っていたのですが、予選レースと決勝レースの間が4・5時間も開いてしまいます。
一日目の土曜日はあいにくの雨でどうすることもできなかったのですが、2日目はお天気、自転車持参で出撃し空いた時間で「大阪臨港線跡」をめぐることにしました。
 
この大阪臨港線は、大阪港に荷揚げされた荷物などを吹田操車場や梅田貨物に運ぶために敷設された貨物線で、平成18年に全線廃止された比較的最近まで使われていた路線です。
 
起点となる境川信号所付近。大阪ドームの近くの大阪環状線から分岐するところで環状線外回りと内回りの間に今もバラストがひかれていた部分が残っているようです。
下から見ると橋桁がかけられていた跡が残っています。
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環状線から分岐して市岡あたりの住宅街の中を走っていました。
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国道43号線は平面交差(踏切)で横断。私もここの踏切は記憶に残っています。
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トウモロコシ畑と化した線路敷地内。
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レールが今も残っている部分もあります。
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今も残る杉村運河橋梁、運河の船の往来は完全に遮断されています。
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このあたりが本線終点の浪速駅があったところです。
古びた看板にはそんな記述も残っていました。
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ホームの跡?
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今は駐車場になっていますが、其の駐車場の車止めは廃レールが使われています。
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元JR貨物の事務所、今は佐川急便が使っているようですが、壁面にはJR貨物の文字が残っています。
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ここから先は分岐して一方は天保山、もう一方は弁天埠頭付近までレールは伸びていたようです。
ただ、これらは昭和59年には廃止されたため、ここまでのようにはっきりとした遺構は少なくなってしまいます
 
まずは天保山方面
天保山運河を越える橋梁跡。
船の往来時には橋桁が上昇する可動橋がかかっていたと思われます。
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線路は先に見えるなみはや大橋の下あたりで右にカーブ。(直進して埠頭へ伸びる支線もあったようです)
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レンガ倉庫の前を機関車にひかれた貨車がガタゴトと走っていたんでしょうね。
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海遊館の裏を通り(もちろん当時海遊館はなかったでしょうが)
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現レストラン街裏あたりのここらが終点でした。
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もう一方の弁天埠頭方面の路線。
 
浪速駅を出て大阪港線と分岐、三十間運河を渡る橋梁跡。
ここもたぶん可動橋だったはずです。
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阪神高速の高架下に見つけた小さな緑地帯。これも廃線跡?
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線路跡は大きくカーブして安治川沿いを東に向かいます。
 
道路上に残っていた踏切跡。
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大阪東港駅跡あたり。
プラットホームの跡?
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住友マークの大きな倉庫があるこのあたりが終点です。
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今回探索した大阪臨港線は廃止されたのが比較的新しいため、遺構がまだたくさん残っており、結構楽しく見て回ることができました。
ただ、街中であるため道路が線路に沿って走っている部分は少なく、線路跡を横切る道路ごとに線路跡に近づいて見ていくという廻り方になってしまい、思いのほか走行距離も伸びてしまいました。
おまけにこの日はお天気がよく、暑さのために少々へばってしまいました。
 
もう少しすれば梅雨も明けて本格的な夏、街中をうろうろするよりやはり山に行きたいと感じる一日でした。
アチカッター。。。
 

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