2010年06月

1970年代の変速機でサンプレックスのクリテリウムと言うディレイラーがあります。
その名前からおそらくレース用に作られたディレイラーなんでしょうが、他のサンプレのディレイラーと違って
Rディレイラーのプレートの色がシルバーなんです。(他の種類は金色です)
そして本体上下のボトルのところにはめられた赤色のパッキンのようなものがアクセントとなって、とても上品に
感じられ、好きなディレイラーの一つとなっています。
 
そんな訳で私のクルスルートにもそのクリテリウムの3点セットを使っているのです。
ところが、3点とも別々にヤフオクで入手したため、WレバーとRディレイラーの状態は良かったのですが、
Fディレイラーはアーム部分のメッキがはがれて錆びてしまっており、動きももう一つ芳しくなかったのです。
上り坂でアウターからインナーへ落とすときなんかうまく動いてくれず、踵でコンコンと蹴らないといけないと
きもあったほどです。
 
交換しようと、ヤフオクでも新しいのが出ないかと探してはいたのですが、さすがにこの時代のディレイラー
となるとなかなか出品されることはないのですよね。
そんな折、最近お知り合いになったNさんのご厚意でそのクリテリウムFディレイラーを譲っていただくことになったのです。
それも新品未使用の状態で。
昨日持って帰ってきて早速付け替えてみました。
 
まずは元々付いていたディレイラー。
アームのメッキがはがれ、かなり錆びてしまっています。
何度か磨いてはいるのですが今一きれいになってくれません。
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付け替えた新しいディレイラーです。
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同じディレイラーの交換ということで作業は簡単に終わりました。
早速、試走です。
やはり動きは全然違います。
アウターからインナー、インナーからアウターどちらも何のストレスもなくギャチェンジしてくれます。
昔の自転車にしては案外軽く、とても気に入っていたのですが、その中で唯一気になるところだった
Fディレイラー。これで本当にすっきりです。
譲っていただいたNさんには感謝、感謝、感謝。ありがとうございました。

再レストアを始めた普段乗りのプロムナード、今日はフレームに塗られた塗料の剥離です。
前回のレストアではもともと塗られていた塗料を剥離せずにその上から自分でスプレーを使って塗っていました。
しかし、スプレーラッカーによる自家塗装では塗膜が弱くあちこち傷だらけです。
ということで今回は一旦全てを剥離してしまい、塗装屋さんで塗ってもらうことにしました。
 
安く上げるため、当然塗料の剥離は自分でします。
いつものように剥離剤を使って乾燥しないように梱包用ラップで包んで一晩寝かします。
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一晩たってラップをはがしてみると、ブツブツと塗料が浮いてきています。
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これを鉄の爪やワイヤーブラシを使ってゴシゴシはがしていきます。
おおむね剥離が終わったのがこれです。
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あとは細かい残った塗料を電動工具や紙やすりを使って完全にはがします。
ただ、これが結構大変な作業で時間がかかりますね。
 
その後は直付け工作をするかどうか現在思案中です。
ブレーキワイヤーの内蔵ぐらいしちゃいましょうかね。

先日購入した「新鉄道廃線跡を歩く」という本に掲載されていたところにさっそく出かけてきました。
今日は午後から家内と出かける約束をしていたので午前中だけの行程です。
 
ということで出かけたのは本に載っていた鉄道の中で一番近く、大阪府と奈良県の境界にある「旧国鉄関西本線亀の瀬トンネル跡」に行ってきました。
 
ここは明治時代に敷設された関西本線の中で開通が一番最後になったところで、トンネルで開通したものの地盤の悪さからしばらくして通行できなくなり、新しく迂回して線路が敷き直されたことで廃線となったところです。
最近この地で行われている地滑り対策工事の中で、その最初に使われていたトンネルが地中から発見されたと言う記事が新聞に載っていました。
 
自宅出発より時間を稼ぐため、まず車で30分ほどの八尾空港まで行き、そこの駐車場にデポしてそこから走り始めることにしました。
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八尾空港ではテレビドラマでも有名になったドクターヘリが離陸していくところでした。
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空港を後に大和川堤防上の自転車道を上流(奈良方面)に向かって走ります。
お天気はとっても良いです。でも、かなり暑い。
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40分ほど走って旧亀の瀬トンネルがあったところに着きました。
橋を渡った対岸に見える丘をトンネルで鉄道が通過していました。
この斜面が地滑りを起こしているのですね。
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橋を渡るとこんな資料室が。
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丘の上に登っていくと地滑りの対策工事が行われていました。
地滑りのため鉄道を付け替えたのが明治時代というのに、今も地滑りしているんですね。
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対策工事の終わったところ? 異様に緑です。。。
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丘を越えて反対側に降りていくと鉄道の路盤跡のようなところが、
一瞬、廃線跡?と
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先へ進むとすぐに通行止め。
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横にはこんな電光掲示板が。
さすがに100年近く前に廃線になった軌道跡は残ってないのでしょうかね。
でも、ここをその昔鉄道が通っていたのは間違いないのですよ。
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地滑りのためトンネルが使えなくなって鉄道はトンネルの両側に仮駅を作り、その間を徒歩で移動すると言う方法を取ったようで、列車時刻表にも「この間徒歩約20分」と書かれていたそうです。
 
トンネル東側の仮駅があったあたりです。
正面に見えるカーブした道路が軌道跡?
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トンネル西側の仮駅があったあたり。
手前に見える大きな穴は地滑り地域の地下水を抜くための井戸です。
壁面から絶えず水が出ているのを上から覗くと見ることができます。
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帰りは鉄道に沿った細い道を走って帰りました。
このあたりは初期に敷かれた軌道と同じところを走っているそうです。
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今回、このあたりの地図と本のコピーを持って出向き、現地ではそのコピーを読みながら回って行きました。
残念ながら、今回は遺構にめぐり合うことはありませんでしたが、地形や周りの景色を眺めながら、本に載っている資料を読んでいると、実際に鉄道が走っていたころの風景が目に浮かんできたりしてなかなかな楽しいものですね。
これはちょっとはまってしまいそうです。
 
今日は時間があまりなかったためユックリとは出来なかったですが、場所を移して次回はもう少しじっくりと回ってみたいものです。
次はどこへ行こうかな。。。

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